スイスオルゴールの世界〜ネットで巡るオルゴール博物館〜

●スイスオルゴール友の会
●スイスオルゴールの魅力
●スイスオルゴールとの出会い
●オルゴールの歴史
●オルゴールと蓄音機の発明
●オルゴールの欠点
●オルゴールの特色
●オルゴールとスイスの歴史
●オルゴールの職人気質
●オルゴールの誕生 村の音楽の塔“カリヨン”

●オルゴールのいろいろ・種類
●スイスのオルゴール博物館
●オルゴールの本・世界の文献
●オルゴールの思い出
●今日に生き延びたオルゴールの力
●オルゴールコンサート アンティーク&モダン
●アルプス民族音楽祭
●スイス・オルゴールの故郷を訪ねて
●スイスオルゴール友の会のサービス


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スイスオルゴール友の会 (Swiss Music Box Society of Japan)

1796年、スイス・ジュネーブで音楽の箱・オルゴール orgel が誕生しました。当時の宮廷音楽やオペラの名曲を収め、 その華麗な旋律と共に格調高い美術工芸品として、ヨーロッパの王侯貴族を魅了し、幾多の名器を生みながら世界 中に多くのフアンをつくりました。200年を経てスイスの伝統工芸を受け継ぎ、現在も世界最高のオルゴールを送 り出しています。スイスオルゴール友の会は、オルゴールの魅力をより多くの方に知って頂く為の主活動に 「オルゴールコンサート」と「スイスオルゴールフェア」を各地で開催、「オルゴールの故郷を訪ねるスイス山 と音楽の旅」を隔年に催すなど、オルゴールの普及とフアン作りに専念してきました。オルゴールの資料の収集 や研究、さらに音楽療法研究室を設け、オルゴールが人体に及ぼす影響を研究、症例を分類、追跡など、大学の 研究者、臨床の場にある医師の協力を得て、オルゴールの解明を続けています。その他オルゴールのアフタ−ケア を始め、催しやニュースの発行,友の会特典などを,さまざまな活動を続けています。



スイスオルゴールの魅力

初めてスイスオルゴールに触れて、カルチャーショックを感じた方も沢山おられましょう。 美しい音色に うっとりし、響きの豊かさに驚きます。15分の長時間演奏にも驚きました。こんなに魅力あるオルゴールを造って いるスイスのオルゴール職人のことを知りたくなります。スイスってどんな国だろう? どんな歴史を持っている 国でしょうか? 私たちは、スイスといえば、チョコレートとチーズの国、時計と精密機械で知られ、 マッターホルンと湖など、美しい光景がすぐに浮かびますが。本当はどんな国だろう?スイスオルゴール友の会は オルゴールを楽しく、深くご紹介します。面白い項目を選んでスキップしましょう。そして、いつかオルゴールコ ンサートに参加してみませんか?オルゴールの魅力を存分にお伝えしております。  さあ、それでは、ネットでオルゴールの楽しい旅をしましょう!  そしてオルゴールの文化に触れてみましょう。ネットで巡るオルゴール博物館です。

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スイスオルゴールとの出会い  スイスオルゴール友の会 代表 佐伯吉捷



30年前に長男が生まれたときに、作曲家小川正先生にオルゴールを教えて頂きました。「長男に音楽教育を」 とお尋ねしたら「オルゴールを聴かせなさい。スイス製ですよ」と返って来ました。当時胎教のレコードが世に 出たばかりでした。お母さんの胎音を聴かせると乳児の精神的な安定が得られる。それを想像してお尋ねしまし たら、「スイス製のオルゴールですよ」とご返事でしたから驚きました。当時のオルゴールはまだ音程も悪く、 「宝石箱の中で鳴る小さな音楽」の知識しか有りませんでした。「盛岡の宣教師さんが美しい音のスイス製のオ ルゴールを聴かせてもらったことがある。あれを手に入れましょう。音楽を繰り返えして、身体に一つ決まった 音楽を入れて上げましょう。後から来る音楽を身体の中でよみ分けましょう。」と繰り返す音楽の大切さを説い て頂きました。「その音楽に思い出が乗っかります。お母さんとの思い出はその子の宝物ですよ」と初めて思い 出の大切さを教わりました。「その音楽に情操教育を、豊かな子に育てなさい。」この三つでした。オルゴール がそんなに大切なものとは思いもよりませんでした。それからスイス製のオルゴールを探して2年間、国内では 当時どこにも見当たらず、2年後に欧州を廻る旅行に参加する機会が訪れました。 ある楽器店のショーケースの中にオルゴールを見つけました。小さいオルゴールから順に聞かせてもらって、4 曲50弁クラスでモーツアルトの「フィガロの結婚」のフレーズを聴いたとき、手の中に音が踊る程の感動を覚え ました。2年間待たされた、スイスがこんな優れたものを造っていた、ギターを弾いていた私に音楽の経験があ ったことも。それは全く新しい感動でした。 昭和50年の1月にスイスオルゴール友の会を発足させて、オルゴールの普及活動を始め、各地でオルゴールコン サートを開催、また200種類400点のオルゴールを展示して沖縄から北海道旭川まで何年間も日本中を隈なく廻り ました。28年間のオルゴールとの体験から、知識だけではない何か大切なものを得たように思います。 オルゴールは生の美しい音楽を自動で繰り返し、好きな時に好きなところで聴くことが出来ます。200年前にスイ スで生まれたオルゴールの優れた特性に今も感動の毎日です。

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オルゴールの歴史


 

今から200年前の1796年にスイスのジュネーブで時計職人アントワーヌ・ファーヴル によって,シリンダー型 のオルゴールが誕生しました。鳥のオルゴールは、それより15年前にスイス人時計技師・ジャケードローによって 発明されました。 ディスク型のオルゴールは、100年後にドイツでポール・ロッホマンによって完成されました。 その後、アメリカに、優れたディスクオルゴールを作るレジーナ社が生まれ,日本も第二次大戦後、宝石箱のオル ゴールを作ってイメージを定着させました。オランダからオルゲル(オルガン)が江戸末期に日本へ到来してORGELからオル ゴールと訛り、日本語化しました。江戸の町の見せ物として大いに流行ったと定説になりました。最初のオルゴールが 時計職人の技術のお陰で質の高いオルゴールに仕上がります。 その精密さと丈夫さに時計の高度な技術が生かされたのです。オルゴールは、215年もの間,いろいろな国で作られ ていきます。王侯貴族の愛玩用に、ホテルやレストランで,駅の待合室で,そして,家庭の中で,赤ちゃんを育て、 思い出をつくり、心を癒すなど、多くの看病にも使われたことでしょう。生の音楽を自動で演奏するオルゴールが、 好きなときに好きなところで聴ける,優れた発明であることが分かります。こうして100年前に音楽の缶詰として 唯一のオルゴールは時代に受け入れられ、その全盛時代を迎えました。

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オルゴールと蓄音機の発明

100年前に全盛時代を迎えたその真っ直中の1890年にアメリカでエジソンが蓄音機を発明し、世に出しました。 「多くの発明の中で最も感動した発明だった」と後にエジソンは述懐しています。「身体の中から突き上げる喜び」 とエジソンは表現しています。それほどの発明でした。人の声を録音することが出来ました。長時間の録音と演奏 が可能でした。オルゴールのように段々遅くなる欠点を持ちませんでした。人々の関心がオルゴールから蓄音機に 移って行きます。オルゴール職人には過酷な時代となりました。1940年代にはほとんどのオルゴール職人が姿を消 していきます。時代は電気の音の世界へ流れ込み、ラジオの普及をみて、さらにテレビへと大きな潮流をつくりま した。王侯貴族の愛玩物となり、多くのオルゴールファンを生み、コレクターを創りながら優れたオルゴールを造 る職人が皆無となります。それだけ蓄音機の発明の影響が大きかったことを物語っています。ひと頃300人とも500 人とも言われ、優れた音楽集団だったオルゴールの職人達は、小さなムーヴメントを造るメーカーに、現存のトー レンツという蓄音機メーカーに、事務機器メーカーのオリベッティへ、移ることになります。



オルゴールの欠点・偉大な

オルゴールは箱の中から、ゼンマイ一つで、同じ曲の同じフレーズを繰り返す、強弱は余り付かず、段々遅くな って止まります。発音すると音を止めることが出来ず、鳴りっぱなしです。櫛歯をピンで単純に弾いて音を作り、 凡そ質の高さにはほど遠い音楽、専門の技術が要り、手間がかかり、その為に大変高価でした。 エジソンの発明は時代の寵児でした。人の声を録音できること、長時間演奏が出来ること、オルゴールより遥かに 軽く円盤を持ち運べたこと、段々遅くなる欠点を持たなかったこと、微妙な演奏まで再現出来ること、音色の違い をはっきりと確認出来るほど繊細な録音が出来る、臨場感まで忠実に録音されました。人々の関心がオルゴールか ら蓄音機に移りました。その時点で多くの優れたオルゴール職人が一斉に姿を消していきました。

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オルゴールの特色・優れた

当時の人々がオルゴールの欠点を上げ、蓄音機に移ったのにはそれなりの理由がありました。 しかし、オル ゴールは様々の欠点を持っている反面で素晴らしい特性を持っています。
1.美しい音色を極限まで高めたオルゴールは。情緒を深め思いやりを育てます。
2.美しい音色は優れた響きを引き出しました。低周波・高周波をふんだんに持つ優れた響きです。 その為に脳幹の血流を促し自律神経を正常にする効果のあることが判りました。
3.同じ曲を繰り返すのは、優れた音楽教育には欠かせない特色です。
4.繰り返す音楽に思い出を乗せる大切な働きがあり、代々の宝物になりました。
5.ゼンマイ一つで箱から自動で鳴る為に持ち運べる有り難さです。胎教に、不眠症に持ち運べることで 大きな恩恵を見つけました。
6.ゼンマイ一つ巻き上げるだけで優れた音楽を聴くことが出来ます。
7.また自動で演奏する特性は、いつでも好きな時に好きなところで聞ける有り難さです。
8.段々遅くなるのは、スイスの職人はこう答えました。「オルゴールはおやすみに合わせて段々遅くなる のがいいのです。ゼンマイの欠点をそのまま活かして使います」
見事ですね オルゴールはこんなに優れた特性を持っていたのです。

 

オルゴールとスイスの歴史


スイスは1990年に建国700年を迎えました。九州程の大きさの国に650万人の人口を抱え、峻厳な山と湖の美しく、 空気の澄んだ箱庭の国、観光立国、金融と銀行の多い国、加工貿易国、永世中立国、防衛の為のハリネズミの国、 核シェルターの最も充実している国、皆兵制度を取り、各家に自動小銃が置かれ、3日で60万人の民兵を集める臨 戦態勢の取れる国として知られています。その昔スイスは、なんの地下資源もない国で困窮の時代を永く送ります。 自国の経済を維持するために、他国の傭兵として欧州の列国の王国に雇われていきます。勇敢なスイス兵は欧州の 国々の評判となり、王国は競ってスイス兵を雇い入れました。そして常に先兵として戦場で華々しい戦果を上げる ことになります。ヨーロッパを2分して戦うスペイン王位継承戦で、スイスは多くの自国の兵士を亡くしました。 約5万のスイス兵が犠牲となったのです。またフランス国王ルイ16世を最後まで守り抜いて全員が非業の最期遂げ ます。その壮絶な戦いで命を落としたスイス兵を悼んでルッツェルンの岩盤に「瀕死のライオン像」を彫りつけ、 スイス人の根底に流れる命を掛けた痛恨の像として、象徴として今も大切にされています。スイスを知る上で欠く ことの出来ないモニュメントとして広く知られることになりました。多くのスイス兵を亡くして、スイスは傭兵で 自国を維持することを反省し、自国の産業を興して、外貨を稼ぐことを決心します。大自然の隅々まで道路を通し、 岩盤をくり貫いて鉄道を敷き、峻厳な山上へケーブルを架け、ロープウエイを吊り、湖にボートを浮かべます。 観光事業で国を富ませます。多くの岩場の石を取り除き、草を育て、牛を飼って、世界一の酪農国となります。 冬場の内職に刺繍やレースが生まれ、この技術を高める為に、イギリスから織機を輸入し改良を加え、外貨を稼ぎ ました。布の染織の技術は化学産業を発展させます。新幹線ブルーといわれる塗料はスイスの塗料が使われ、岩盤 を掘る掘削技術は青函トンネルに活かされました。こうして工作機械も印刷機械もスイスはその勤勉さと努力で技 術を高め付加価値の高い製品を送り、世界の信用を得ることになります。医薬や食品産業の発展も見逃せません。 ドイツからやって来た時計の技術を高めて世界一の時計産業を育てました。その時計の技術からオルゴール産業が 生まれたのが1796年です。こうして様々な産業を発展させ、世界をリードする商品に仕上げ信頼を得て、世界一の 富裕国となりますが、スイス人の奥にある苦しい時代の思いが今日のスイス製品に生かされていることを思えば、 このオルゴールが150年を経て動き続ける丈夫さや、また美しさの奥にある頑固なスイス人気質の深さも理解出来 るようです。

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オルゴールの職人


音楽の大切さについて、職人に尋ねたことがありました。「音楽はパンと同じ、無かったら生きていけない」 と言われたのには驚きました。 現代のオルガンのマイスター・ブローマーさんは「美しい音楽は神の声」と 言っています。魂を揺さぶる程の音楽を、心に響く音楽を過去のオルゴール職人達も求めたことでしょう。美しい 響きを求め、その上に正確な音楽を乗せる為に、時間と忍耐力が注がれました。T台のオルゴールのドラムに植え るピンの数を20万本、純正調に近い調律法を採り、飽きのこない編曲を心掛け、美しさを求めた結果、その響きに 低周波・高周波が同時に存在する優れた楽器に育っていたことを現代の科学が解明しました。美しさを追い求めた、 優れた職人の感性と技術と忍耐の賜でしょうか?



オルゴールの誕生 村の音楽の塔“カリヨン”

オルゴール又は、機械仕掛けの自動楽器の起源にベルの存在は重要です。村の中央にベルを幾つも持つ塔を カリヨンと呼びました。13世紀からカリヨンは村のシンボルでした。高い塔の先端から村中に音楽を奏で、時を 告げ、村人の心の拠り所だったカリヨンは、ベルをハンマーで叩くやり方が一般的ですが、初期には、ベルの内 側に吊られた“ベロ”をひもで引くやり方が多く見られます。一方で聖堂や教会のチャーチベルは、普通2個の ベルを交互にスイングして塔の上で“リンドン”“リンドン“と鳴らしました。大きな響きは村を超え、森や林 の隅々までと届きました。音楽の塔カリヨンは、始め鍵盤を手で叩くもの、足で踏むものなど手動のものでした が、やがて、時計と組み合わされて自動で鳴る仕組みになりました。ベルも次第に数を増して、和声の優れた音 楽を村々に流し続けました。ザルツブルグの市庁舎のカリヨンは大きな塔の機械室に大きなシリンダーが有り、 ピンが親指大の大きさです。このピンを毎月音楽大学の教授が植え換えて曲が変わります。広場の掲示板にその 月の曲名が書き出されています。スイスのロッチャー社のカリヨンベルの音色は誠に美しく、透明です。大坂箕 面小野原にスイスから第一号のカリヨンを12年前に建てました。一度見に来てください。

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オルゴールのいろいろ オルゴールの種類

●シリンダー型のオルゴール
●ディスク型のオルゴール
●ハンドオルガン
●シンギングバード
●オートマタ

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スイスのオルゴール博物館

スイスの世界的に有名なオルゴール博物館の紹介です

第1項 ゼーベンのスイス国立オルゴール博物館
第2項 ル・ロックルのシャトー・ド・モン
第3項 ヌーシャテルの美術・歴史博物館
第4項 ラ・ショード・フォンの時計博物館
第5項 サンクロワ村のボウ博物館
第6項 サンクロワ村のCIMA
第7項 ジュネーブの時計・七宝博物館
第8項 スイスの首都 ベルンの時計等
スイスのオルゴール博物館の項は補足予定

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オルゴールの本 世界の文献

オルゴールの本 文献

●オルゴールの本 世界の文献

この項は追記予定

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オルゴールの思い出

オルゴールと思い出 箕面市在住の女性

 

オルゴールコンサートで「パッヘルベルのカノン」を聴いたとき、息子を思い出して涙が止まりませんでした。 息子さんを亡くされて未だ数ヶ月、静かに鳴るカノンはバロック時代からの名曲、人の心を打つ不思議な力が 有るようです。

娘が嫁いだ後の空虚さを同じ曲のオルゴールに助けられて 豊中のお母さん

 

お嬢さんが音大でピアノを学び、立派な演奏をされていました。結婚して東京へ行くことになりました。 今まで毎日のようにピアノを聞いていましたのに、ある日突然、ピアノの音が聞こえなくなりました。ショック でした。寂しさもあったでしょうが、「ショパンの英雄ポロネーズをオルゴールで聞いたとき、娘がピアノで弾 いていた曲、もう離れられなくなりました。この曲を聴いていると娘といっしょにいるようです。」

オルゴールをおばあちゃんに贈って上げたい。 神戸のお母さん

おばちゃんが、朝小学生の息子がランドセルを背に家を飛び出すとき、息子の背中に両の手を合わせて拝ん でいるんだそうです。「今日も無事に帰ってきてね」そう言っているこのおばあちゃんにオルゴールを贈って 上げたいのだそうです。

オルゴールを聞いて感動!もう一度お仕事に復帰します。西宮の女性

オルゴールコンサートにグループで参加しました。職場を離れるので皆で送別会を兼ねて参加されました。 「コンサートの最後に"カノン"を聴いたとき涙が止まりませんでした。こんなに深く、胸を打たれたことに 衝撃をうけました。皆からの励ましもあって、もう一度職場に復帰することを思い立ちました。感動というので しょうか?何か人生が変わったように思えるのです」

おばあちゃんの遺した一台のオルゴール

おばあちゃんが亡くなって遺品の中に幾重にも紙包みされた中から、スイス製のオルゴールを見つけて広い食 卓で家族みんなで聞いたのです。オルゴールが鳴り始めたとき、「その響きにとても驚きました。おばあちゃん がこんな立派なオルゴールを持っていたことにびっくりしました。」「いつ、どうしてこんなオルゴールをおば あちゃんが手に入れたのか誰も知りません。でもこのオルゴールを聴くとおばあちゃんを思い出すのです。」

大震災の中の一台のオルゴール 茨木の男性

西宮の下宿の二階で寝ていて地震にあいました。一階の独身の方は即死だったそうです。二階梁の間を抜け て外へ何とか抜け出して、家がぺしゃんこになっていてびっくりしました。二日後に戻って来て梁の向こうに 12月に買ったばかりのオルゴールを見つけて中へ恐る恐る入って行きました。もう一度揺れがあれば、命はな かったでしょう。無傷のオルゴールを持って仮設住宅での生活が始まりました。仮設住宅の人にオルゴールを聴 いて頂きました。とても心が落ち着くのです。これが癒しだと思いました。みんなから喜ばれたのです。命を確 かめ合ったお付き合いの女性と結婚しました。お式を挙げられなかったそうです。オルゴールコンサートのあと、 居合わせたお客様を10数人で小さな披露のパーティをしました。

5才の娘のお誕生祝いのオルゴール  西宮の幼稚園の主任さん

5才の娘のお誕生祝いにオルゴールプレゼントしました。「宝物よ」と言ったときからもう誰にも触らせて くれません。ただゼンマイを捲くときだけお母さんのところへ持って来るのだそうです。その時の手付きがお 母さんが両手で大事に抱える同じ手付きでした。目を見張りました。ここに教育があるかと教わりました。「主 任といえば、園長の候補、オルゴールから娘から教育を教わりました。」

オルゴールに癒されました

オルゴールに命を救われました・・・ 岡山の女性 手記要約 岡山の村上さんはオルゴールの小さなお店をお持ちです。このお店の前に若い女性 が立たれました。ご主人を交通事故で亡くされ、二人の娘を抱えて路頭に迷いました。来る日も来る日も当ても 無く歩く毎日だったそうです。その内アルコール中毒にも掛かり、いつ主人のところへ行こうか?いつ命を閉じ てもよいと思う毎日でした。村上さんのオルゴールのお店の前を通り掛かったときに、不思議な音楽が聞こえた。 何気なく入ったお店で、村上さんがストリートオルガンを鳴らしていたそうです。暫くたたずんで聴いてから村 上さんが2時間も話しをしてくれたそうです。毎日のように通いました。次第に我を取り戻します。「私はオル ゴールに命を救われました。娘も大学を卒業して社会人となりました。あの時、命をもらった私は、今ボランテ ィアでお返しをしています」



阪神大震災で二十歳の娘を亡くしました。 神戸のお母さん

15日の成人式の2日後でした。くったくない明るい子でしたのに、突然のことで動転されたことでしょう。 オルゴールコンサートでハンカチをお顔に当てたままお顔が上がりませんでした。私のオルゴールのお話しの中で 「花嫁道具に、赤ちゃんに、胎教からですよ、五代の赤ちゃんを育てて家の宝物にしましょう」お母さんにとって随分酷な話しでし た。「お母さん辛かったでしょう、ごめんなさいね」とお詫びしました。「いいんです。娘もオルゴールが好き でした。このオルゴールを娘と思って持って帰ります」一年ぶりの夏の暑い日でした。「私です。やっと心のか たが付きました」1年間、どれほどの苦しみでしたでしょう。決してかたなどつきませんでしょうに。それでも付いたと おっしゃるなら、これからはオルゴールに楽しい思い出だけを乗っけてほしい。祈るような気持ちでした。



孫娘が白血病、半年のいのち 東京のご婦人 

お電話を頂戴しました。「スイスの大使館からあなたのことをおそわりました。以前スイスで観たクリスタ ルのオルゴールのあの美しい音色が忘れられません。今手元にありますか?」「いいえ切らしています。」 「取り寄せてどのくらいですか?」この箱にこの曲と込めて半年から一年と申し上げた。「それでは間に合い ませんの、孫娘が白血病、半年の命、何とか間に合わせて下さいませんか?」おばちゃんの孫を想う気持ちが 伝わり、断ることが出来ませんでした。一心に書いた手紙にスイスが応えました。1か月でやって来ました。伊丹 空港から到着するのを待ちかねて新幹線に走りました。東京八重洲口でおばあちゃんは待っていてくれました。「うれしい です、間に合いましたよ」あのオルゴールは、小さな命を看取りましたでしょう。孫を想う気持ち、命の尊さを教わりました。



入院のお母さんの体験

手術のために入院されているお母さんはオルゴールを聞くととても落ち着きます。吹田の坂本さん(83才) のお母さんは5年前にオルゴールを手にいれました。一年前から肝硬変で入院して療養を続けて、半年前から 病状が重くなりました。食事も戻しがち、心の安定も得られませんでした。ところがオルゴールを聞くと顔が 穏やかになり、食事を戻すこともなく気持ちがとても落ち着くようです。それが不思議なくらい顕著です。以 前から聞いているオルゴールだからでしょうか?



お母さんに贈った手術の前のオルゴール

手術前のお母さんはとても不安を感じて心が落ち着きませんでした。コンサートで「カノン」を聴いてお母 さんに勧めました。手術前にずっとこの曲を聴きました。心が安まる、気持ちがいいので何日も前から聞き続け ました。 手術の当日もベッドでずっと聴いていました。手術が終わって「もう終わったの?」と聞かれたそう です。手術のあいだずっとこの「カノン」が頭の中で鳴っていて何も不安がなかったそうです。 精神の安定に オルゴールが大変役立つことを教えてくれました。


集中治療室で鳴らし続けた「カノン」

小川信さん 父上の小川正先生が脳溢血で集中治療室に運び込まれたのは、6月8日、その2日後にお亡く なりになりました。突然のことで私たちは動転しました。淡路島の花博に行かれてお疲れからか朝、気分が悪い と横になられたまま帰らぬ人となりました。今晩は大丈夫と言われて皆が病院をひとまず引き上げたあと、浜松 から戻られた長男小川信さんは、急変した集中治療室でオルゴールの「カノン」を鳴らし続けました。この音を きっと親父は聴いている、そう思って巻き続けたそうです。


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今日に生き延びたオルゴールの力

オルゴールの職人が姿を消し、大型の優れたオルゴールが売り払われるともう造る職人がいなくなりました。 ほそぼそと小さなオルゴールを作る一団の職人がこの技術を受け継いで今日に至りました。今日オルゴールを 改めて見直してみると、優れた特性に気が付きます。オルゴールは、生の音を再現出来ること、美しい音色を 持っていること、美しさを求めた結果、低周波・高周波を同時に持つ、優れた音響機器であること、その為に お腹の赤ちゃんに音楽を丸ごと記憶させることが出来ること、脳幹を刺激して自律神経を正常にする働きのある こと、生の美しい音に心を癒されること、美しさは情緒を深める効果のあること、ゼンマイで自動で演奏出来る こと、手で持ち運べること、その為に好きなときに好きなところで聞くことが出来ること、そして、お母さんの お腹の上で胎教に、多くの不眠症を治していること、おやすみのテンポに合わせて段々遅くなるのは、交感神経 を鎮静化するのに役に立つこと、強弱を付け過ぎない為に万人に愛されること、繰り返す音楽は身体に一つ音楽 を入れ込む音楽教育に役に立つこと、同じ曲を繰り返すのは思い出を乗せる役目をもっていること、 オルゴールの欠点はまた背中合わせの長所であることが現代の科学を通して認識されようとしています。職人達 が求めた美しい音、気持ちのいい音は、人間の、または動物の生きていく為に最も大切な響きを持っていること をあの職人達は感性で解っていたのでしょうか? NHKの元国際プロデユーサーの馬場建次さんは、「私達の 創り上げた映像は、生の世界を紹介する為のカタログだったと気づきました」と言われました。私たちの身体が生の 世界を求めているとしたら、その大切さを見事に言い当てられているのではないでしょうか? 電気的 録音や再生音も映像の世界も優れた文化を創りました。エジソンの蓄音機も、ラジオもテレビも、テープやビデ オもLDやその他あらゆる種類の電気や電磁を利用した機能は人類に大きな役割を持ちました。その高い 芸術性を否定出来ないでしょう。しかしオルゴールの持つ、生の美しい音楽を自動で繰り返す特性は、またその本質 として、今の時代に大切なものを持っていると思います。音楽療法を永く研究されたある著名な先生は、「民族音楽 のほうが私たちに良い効果を持っているのではないか?それよりも森の中の優れた音の環境こそが大切ではないか?」 と疑問を投げ掛けておられます。生き物達に大切なのは、むしろ豊富な音の世界・響きにあ るのではないでしょうか? 一つの結論がここにあるように思います。オルゴールで育ち、多くの音楽に触れて、 そして、またオルゴールに戻って来たとき、その質の高さに驚かれることでしょう。オルゴールの職人の感性に 触れて多くの涙を見てきました。オルゴールが今日生き残っているのは、偶然ではなく、私達が求めているもの、 忘れてはならないものが存在することを私達は、本能的に見分けているのではないでしょうか?とすれば音を極めた、また 音楽を極めた芸術家の恩恵を素直に受け入れることも、自然を大切にすることも私達の勤めではある でしょう。オルゴールを聴くときに、とても素直な気持ちなったり、多くの方が穏やかなお顔を見せるのも頷け る気がします。オルゴールの素晴らしさを多くの子供達からも教わりました。あどけない赤ん坊の表情に、長い 病気の床で、子供を思い出して涙の止まらないお母さん、仕事仕事で忙しい男性が涙をこらえて聞き入るとき、 疲れを取るのにポケットにオルゴールを持ち運ぶ元大学の学長先生に、また結婚間際の若い女性の美しい笑顔を見る とき、オルゴールがどんなにお役にたっているかを実感します。

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オルゴールコンサート アンティークオルゴールコンサート



昭和50年第一回を大阪グランドホテルで開催、以来各地のコンサートホールでスイス大使館、スイス総領 事館後援で開催、100年前の貴重な音楽文化の再現と評価され、また多彩なオルゴールの紹介と当時のマイスター 達の音色に対する思い入れなどから来る音色と響きの特性など解説を加えながら楽しいコンサートをこころがけ ました。また音楽専門のホールでのコンサートとは別に箕面本店と横浜元町店、さらに神戸北野店での専用のホールでのオル ゴールコンサートは毎日朝、昼の一日2回のコンサートを実施しています。1990年には年間700回のコンサートを こなし、この2002年に1万回を数えました。コンサートに参加者は年間約2万人この15年間でおよそ30万人を超 えます。多くの方々のご協力の賜です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「オルゴールコンサート」はオルゴールで感動をお伝えすること、スイスの文化としてオルゴールをお伝えする こと、真のオルゴールをお伝えすること、オルゴールの持つ「音楽の特異性」や「療法としてのオルゴール」など 優れた効用をお伝えする為に、お話と演奏を組み立てています。

1975年 第1回スイスオルゴールコンサート 大阪グランドホテル・芙蓉の間
1991年 軽井沢万平ホテル 8/27
1991年 大阪・いずみホール スイス建国700年記念
1992年 岡山・オリエント美術館11/10
1992年 柳井・サンビーム12/23
1992年 横浜・イギリス館6/24
1992年 横浜・人形の家 横浜店オープン記念8/19
1992年 伊丹・アイフォニックホール11/25
1992年 大阪音楽大学 オルゴールの特別講義 6/23
1993年 山口県・小野田市民館文化ホール 11/8
1993年 広島県・福山美術館ホール4/11
1993年 読売新聞大阪本社 本社屋ビル完成記念コンサート
1993年 岡山・シンフォニーホール 2001人収容 4/17
1994年 神戸・森のホール 6/13 安藝榮子さんとのジョイントコンサート
1994年 舞鶴
1994年 宝塚・ベガホール7/7 池田銀行
1994年 豊能・ユーベルホール6/14
1995年 大阪都島区民センター 開館10周年記念 8/7
1995年 京都国立病院・ホール 10/28 4年間
1995年 尼崎・アルカイックホール小ホール12/25
1995年 奈良・秋篠音楽堂 3/30 わたぼうしの会
1996年 箕面・メイプルホール 1/24 箕面ロータリークラブ主催
1996年 兵庫県村岡町 「第45回全国植樹祭オルゴールコンサート」
1996年 金襴短期大学ホール 7/27
1996年 大阪府泉南郡田尻町 あいらんどホール 12/7
1996年 大阪府立情報文化センター 12/20
1997年 池田・アゼリアホール11/5 開館10周年記念
1997年 新大阪メルパルクホール 日本ホリスティック医学協会で臨床例の発表
1998年 大阪・ザ・フェニックスホール12/8
1998年 横浜・みなとみらい新ホール 3年間6回
1998年 関西大学記念大ホール 千里メイプルロータリークラブ
1999年 神戸・朝日ホール 朝日新聞主催ルミナリエの催事特別参加
2000年 横浜・みなとみらい新ホール
2001年 神戸新聞・松方ホールクリスマスコンサート
2002年 いずみホール「クリスマスコンサート」12/17
2003年 姫路・キャスパホール2/3
2003年 いずみホール12/16  @2時〜 A19時〜
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アルプス民族音楽祭


スイスの民族音楽の紹介の一端を担って、スイスのヨーデル団を日本に招致し、アルプス民族音楽祭や ヨーデルフェスト、楽しいコンサートを10年間全国で開催しました。
大阪シンホニーホール
大阪国際交流センター
乗鞍高原一ノ瀬牧場・上高地:1981年から10年間「アルプス民族音楽祭」を開催。
富山県・立山:「アルプス民族音楽祭」1982〜開催
六甲山・神戸市立六甲牧場:「アルプス民族音楽祭」を開催



スイス・オルゴールの故郷を訪ねて「スイスオルゴール博物館巡り・山と音楽の旅」

1975年から隔年おきに実施してきました。12回を数えます。小川正先生を団長として11名から20名の 参加です。毎回5カ所のスイスで最高のオルゴール博物館を訪ねます。マッターホルンやユングフラウヨッホ など山を2カ所、美術館・博物館、名高いコンサートや教会のオルガンコンサート、沢山のヨーデル団の歌声 をを聴きました。

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スイスオルゴール友の会のサービス

スイスオルゴールを購入された方に・・・

オルゴールの美しい音を保つため、お手入れ・調整・修理などあらゆるアフターケアを実施しています。

スイスオルゴールをお持ちの方に・・・

音の美しさを永く保つために、オルゴールの調整・修理からオルゴールの聴き方などの貴重なアドヴァイ スをします。

スイスオルゴールをお求めになる方に・・・ 

お好きな曲・箱やその他楽しいオルゴールの中から選択のお手伝でお役に立ちます。

スイスオルゴールの知識を深めたい方に・・・

オルゴールの歴史・美術・音楽また周波数特性などの音響の知識、さらに音楽療法に至る 学術資料を集めて博物館として提供しております。海外のオルゴールの既出版のものはほぼ揃っています。

スイスオルゴール友の会の催しにご興味の方に・

友の会主催のスイスオルゴール博物館巡り、ホールコンサート、パーティ講演会、講習会、結婚式や披露宴など豊富な企画で会員のサポートをさせて頂いています。


スイスオルゴール友の会の 所 在 地


大阪本部:〒562-0031 大阪市北区梅田1-1-3 駅前第3ビル21F  TEL.06-6342-0066  FAX.06-6342-5757
横浜支部:〒231-0861 横浜市中区元町3-131-1 酒井ビル3F   TEL.045-663-5139  FAX.045-663-1072

 
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